内田有紀と千原ジュニアの“熱愛デート”!

女優・内田有紀(31)に新恋人が発覚した。
相手は、吉本のお笑いコンビ「千原兄弟」の弟・千原ジュニア(33)だ。

12日発売の週刊誌「女性セブン」で報じたところによると、2人の出会いは
今年1月に放送された日本テレビ・読売系のスペシャル2時間ドラマ
「松本清張スペシャル・地方紙を買う女」の共演がきっかけ。

ジュニアは内田演じる主人公・潮田芳子に殺される男・庄田昭夫を演じていた。

地方ロケなどで急速に関係を深め、先月30日の千原の誕生日も、
お笑い仲間らと一緒に内田もパーティーに出席したという。

また、別の日には、2人きりで都内のバーから時間差で出てきて、
同じ車の後部座席に乗り込む様子を目撃されている。

内田は、ドラマ「北の国から」で共演した吉岡秀隆(36)と02年12月に電撃結婚。
しかし、わずか3年で離婚した。

最近は、大麻所持で逮捕歴のあるアパレルメーカー社長との交際もウワサされていた。

内田と千原の双方の所属事務所は、
「いいお友達としてお付き合いしている」と交際を認めている。

実の兄・千原靖史(37)とのコンビで独特の笑いを築いているジュニアだが、
最近は役者として、自伝的小説「14歳」では作家としても活躍している。

バツイチ内田の“2度目”は近いのだろうか?


内田有紀(うちだ ゆき)

1975年11月16日
東京都出身。
歌手、女優。
身長165cm、体重48kg。
スリーサイズはB82・W58・H83。
靴のサイズは24cm。
血液型はO型。
2002年、俳優の吉岡秀隆と結婚。
同年11月28日をもって芸能界を休業したが、
2005年12月に離婚していたことが明らかになり、
2006年7月2日芸能界に復帰した。

来歴とエピソード
中学時よりモデルとして活動開始。
「有紀」という名前は「世紀を越えても有名な子になるように」という祖母の願いから付けられた。

1992年、フジテレビ系「その時、ハートは盗まれた」で女優として芸能界デビュー。

同年冬には、1993年のユニチカの水着キャンペーンモデルとして選出され、活動を開始。
新年度の水着キャンペーンモデルの1人として、EXテレビにゲスト出演した際、
司会の三宅裕司は後のブレイクを予言していた。

1993年、覚えやすい名前とスレンダーな健康美人という
当時の流行りによくマッチしていたコトもあり大ブレイク。
また、ボーイッシュスタイルの髪型もデビュー当初の内田のトレードマークであった。
同年のフジテレビビジュアルクイーンにも選ばれた。

1994年には「時をかける少女」でドラマ初主演し、
同年「TENCAを取ろう!〜内田の野望〜」で歌手デビュー。
同曲は主演ドラマ「半熟卵」の主題歌ともなり、オリコン初登場1位を獲得した。
デビュー曲の初登場1位は女性歌手として史上初である。

翌1995年には映画に進出し、以降、歌と女優業を軸に活動する。

2000年1月、演技の勉強を基礎からやり直すとして、「北区つかこうへい劇団」に入団。
テレビから舞台へと活躍の場を移すこととなる。

2002年末、「北の国から」で共演した俳優吉岡秀隆と結婚、芸能活動を停止。
なお、ファンクラブ「YUKI組」は解散、公式サイトも閉鎖された。
倉本聰氏プロデュースの挙式が話題になった。
しかし2005年12月に離婚。
倉本聰は離婚に関して
「結婚というものについて二人ともきちんと理解していなかったのではないか」とコメント。

フェンシング都大会で3位入賞の実績がある。
2006年7月2日スタートのTBSドラマ「誰よりもママを愛す」(日曜21:00〜21:54)で、
主演の田村正和が演じる専業主夫の長女役で女優復帰。

公式サイトも復活し古巣バーニングプロダクション所属となる。
マネジメントはバーニンググループのプロダクションEver Green Entertainmentと提携。

女優業は2002年9月放送のフジテレビ「北の国から2002遺言」以来約4年ぶり。


千原ジュニア(ちはらジュニア)

本名:千原 浩史(ちはら こうじ)
1974年3月30日
お笑い芸人。
コンビ「千原兄弟」のボケを担当。
京都府福知山市出身。
NSC8期生(卒業はしていない)。
2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。
しりとり竜王戦九段。

概要
中学時代は登校拒否・引きこもりを経験し、
高校には進学したが相変わらず引きこもりを続けていた。

先にNSCに入学していた兄の千原靖史に誘われ、お笑いの世界に入ることになる。

「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、
急性肝炎、オートバイ事故で2度生死の境をさまようが無事に復帰し、現在に至る。
急性肝炎を患った際には、
同時期に「ベイブルース」の河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、
彼も同じ病気なのではと噂された。

大阪時代には「マンスリーよしもと」(吉本の月刊誌)にカリスマの触れ込みでデビュー。
当時わずか18歳で2丁目劇場を仕切っていたという伝説を持つ。

現在は東京を中心に活動中。

お笑いの他に俳優活動も行っており、出演作品は多数(主に映画)。
今田耕司、東野幸治に「ジャックナイフ芸人」「2丁目劇場の黒いナイフ/黒いバラ」と称されるなど、
カリスマ性の高い孤高の芸風である。

しかし、東京進出後はやや角が取れてきている。

ナインティナイン・ココリコ・ロンドンブーツ1号2号の田村亮(ちなみに田村淳は同学年)
・藤井隆・ペナルティ・DonDokoDon・ガレッジセール・ほっしゃん。・宮川大輔・中川家
・ケンドーコバヤシなどより歳は下だが、芸歴は彼らよりも長いため、
彼らは全員事務所の後輩にあたる。
番組などで共演した場合、彼らはジュニアを「ジュニアさん」と敬称で呼ぶ。

ダウンタウン松本人志、陣内智則、ケンドーコバヤシ、バッドボーイズ佐田らと仲が良い。
後輩のナインティナイン岡村が先に出世したことに大阪時代は嫉妬していた。

リズム感、及び音楽の才能がまるで無い。
「やりすぎコージー」でのバーベキュー企画でペナルティのワッキーによる
「ワキササイズ(ダンスのようなエクササイズ)」を全員でやった際、
リズムに全く乗れずひどいダンスを披露したが、
自身はどんどんテンションが上がり踊り続けていた。
今田耕司や東野幸治がカメラを遮り、「この子は喋ると面白いんです!!」と必死にかばうほどだった。
歌が下手なことは自身も認めている。

「虎の門」の「しりとり竜王戦」では優勝したのが第9回のみでありながらも
常に決勝か悪くても準決勝に進むほどのセンスとボキャブラリーを持つ。
「話術王選手権」では第4回チャンピオン、
「話術王選手権ダブルス」では第1回・第2回のチャンピオンになった。
特に第1回「話術王選手権」では1回戦トップバッターという、
企画の方向性を決める重要な場面でありながらも巧みな話術で企画のレベルを高いものにした。
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posted by genomy at 01:58 | Comment(5) | TrackBack(1) | 内田有紀

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